自分の欲望が分からない
私は長い間、義務感だけで生きてきたように思う。
ちゃんと学校へ行かなきゃ、ちゃんと働かなきゃ、等々。
それでしんどかったけど、どこにいけばいいのか分からなかった。
それは、自分の欲望が分からなかったからではないか。
つまり学校へ行きたいのか、行かなければいけないのか、の区別がついていなかったのではないか。
なぜ、突然そのように考えたかというと、精神科医の斉藤環が、ラカンのある言葉を引用しているのを思い出したからだ。それは、「欲望は他者の欲望である」という言葉だ。
我々が自分の欲望だと思っているのは、他人の欲望なのである。
それが分からず、いままでずっと義務感を元に動いてきたと思う。
そうすると、今、他社とあまりかかわらない引きこもりの人たちは、自分の欲望が分からず、身動きが取れないのではないか。(たしか斉藤環の本で同じようなこと書いてた気がする、どの本だったかは思い出せませんが)
今の私には、身に覚えがある話である。
本当になにをすればいいか分からず、行動を起こせないでいる。
対人恐怖症を患っていると、他者と関わる頻度も減るので、ますます悪循環に陥っていく。嫌なループである。
そもそも、自分の欲望を掻き立ててくれる他者に出会った経験がないため、理屈では理解しても、心で理解できないのだ。
もちろん、欲望をしったところで、すぐ行動を起こせるようになるとは思えない。
それでも、自分の欲望へと、意識をむけていくことは忘れないようにしていこうと思う。